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Run-D.M.C.(ラン・ディーエムシー)のおすすめ人気曲・アルバム

※本記事にはプロモーションが含まれます。

Run-D.M.C.(ラン・ディーエムシー)は、1983年にニューヨーク・クイーンズ区ホリスで結成されたヒップホップ・グループです。黒い帽子に黒い革ジャン、紐を抜いたadidasのスニーカー——あのスタイルごと、彼らはヒップホップの見た目と聴こえ方を作り替えました。

いちばん有名なのは、エアロスミスと共演した『Walk This Way』でしょう。ラップとロックが同じ曲のなかで殴り合うようにして生まれたあの一曲は、ヒップホップを一気にお茶の間へ押し出しました。けれど彼らの功績はそれだけではありません。ラップのアルバムで初めてゴールド、初めてプラチナ、初めてMTVでミュージックビデオが流れ、初めてローリング・ストーン誌の表紙を飾ったのも、すべてこの3人組です。

この記事では、Run-D.M.C.がどんなグループだったのかを整理したうえで、7枚のスタジオアルバムを発表順にたどりながら、代表曲を1曲ずつ紹介していきます。名前は知っているけれど聴いたことはない、という方の入り口になれば幸いです。

Run-D.M.C.(ラン・ディーエムシー)とは?

クイーンズ区ホリスから、ヒップホップの形を変える

結成は1983年、ニューヨーク市クイーンズ区のホリス地区。幼なじみだったJoseph Simmons(Run)とDarryl McDaniels(D.M.C.)に、DJのJason Mizell(Jam Master Jay)が加わった3人組です。マネジメントを担当したのは、Runの兄であり、のちにDef Jam Recordingsを共同設立するRussell Simmonsでした。

デビューシングルは1983年8月10日の『It’s Like That』。B面には『Sucker M.C.’s』が収められていました。失業やインフレを扱った歌詞と、ドラムマシンだけの荒々しいトラック——当時主流だった、バンド演奏に乗せたパーティー志向のラップとはまるで別物でした。この2曲が出た瞬間に、それ以前のヒップホップがすべて「オールドスクール」になってしまった、と評されるほどの衝撃だったのです。

1984年3月27日の1stアルバム『Run-D.M.C.』は、ラップのアルバムとして初めてRIAAのゴールド認定を獲得。収録曲『Rock Box』のミュージックビデオは、1984年の夏にMTVで流れた初めてのラップ・ビデオになりました。1985年7月13日にはフィラデルフィアのライヴエイドに出演。会場にいた10万人の前でヒップホップを演奏した唯一のアクトでした。

頂点は1986年5月15日の3rd『Raising Hell』です。Rick Rubinを共同プロデューサーに迎え、エアロスミスとの『Walk This Way』が全米4位の大ヒット。アルバムはビルボード200で3位、R&Bアルバム・チャートではヒップホップ作品として初の1位を記録し、アメリカで300万枚を売り上げました。

1990年代に入ると、西海岸のギャングスタ・ラップの台頭もあって状況は厳しくなります。それでも1993年の『Down with the King』でビルボード200の7位まで返り咲き、1997年にはJason Nevinsによる『It’s Like That』のリミックスが世界中で1位を獲得するという、予想外の第二幕もありました。

2002年10月30日、Jam Master Jayがクイーンズの自身のスタジオで銃撃され、死去。グループは事実上そこで終わりを迎えました。

メンバー

ラップJoseph “Run” Simmons(ジョセフ・”ラン”・シモンズ)1964年11月14日生まれ
ラップDarryl “D.M.C.” McDaniels(ダリル・”ディー・エム・シー”・マクダニエルズ)1964年5月31日生まれ
DJJason “Jam Master Jay” Mizell(ジェイソン・”ジャム・マスター・ジェイ”・ミゼル)1965年1月21日〜2002年10月30日
マネージャーRussell Simmons(ラッセル・シモンズ)※Runの兄
プロデューサーLarry Smith(1st・2nd)/Rick Rubin(3rd・4th)

RunとD.M.C.は、1行ずつ、ときには単語ごとにマイクを奪い合うように交互にラップします。全員で同じフレーズを叫ぶ場面も多く、2人で1人のラッパーのように機能するのが最大の特徴。声を張り上げるスタイルは、それまでのなめらかなラップとは対照的でした。

そして音を作っていたのはJam Master Jayです。ターンテーブルだけでなく、キーボードやベース、生ドラムもアルバムで演奏していました。1989年には自身のレーベルJMJ Recordsを設立し、Onyxや50 Centを見出しています。「RunとD.M.C.がラップするほとんどすべての音を作った」と評された、グループの心臓部でした。

なおD.M.C.は1997年に痙攣性発声障害を発症し、思うように声が出せない時期を経験しています。Runはのちに牧師の資格を得て「Rev Run」として活動し、MTVのリアリティ番組『Run’s House』(2005〜2009年)で新たな人気を得ました。

数字で見るRun-D.M.C.

ヒップホップにおける「初めて」を、彼らはいくつも記録しています。ラップのアルバムとして初のゴールド(『Run-D.M.C.』)、初のプラチナ(『King of Rock』)、初のマルチプラチナ(『Raising Hell』)。MTVで初めて流れたラップのミュージックビデオ、ローリング・ストーン誌の表紙を飾った初のラップアクト、そしてグラミー賞に初めてノミネートされたヒップホップのアーティストも彼らでした。

最大のヒット作『Raising Hell』はアメリカで3×プラチナ(300万枚)。シングルでは『Walk This Way』がビルボード・ホット100で4位に入り、ヒップホップの楽曲として初めて全米トップ5に到達しました。1986年にはadidasと160万ドルの契約を結んでいます。ミュージシャンとスポーツブランドの大型契約としても、先駆けとなった出来事でした。

受賞・顕彰では、2009年4月にロックの殿堂入り。グランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイヴに次ぐ、ヒップホップとして2組目の殿堂入りでした。2016年にはグラミー賞の特別功労賞(生涯業績賞)を受賞。さらに『Raising Hell』は2017年、アメリカ議会図書館の国立録音資料登録簿に選ばれています。

Run-D.M.C.のおすすめ曲・アルバム

それでは、デビュー作から順番におすすめの曲を紹介していきます。スタジオアルバムは全7枚。80年代の3枚で時代を作り、90年代以降は変化を模索していく——その流れが見えるように並べました。

1st Album『Run-D.M.C.』(1984年)

1984年3月27日リリース。ニューヨークのGreene Street Recordingで録音され、プロデュースはRussell SimmonsとLarry Smithが担当しました。

ビルボード200で53位、R&B/ヒップホップ・アルバム・チャートで14位。数字だけ見れば控えめですが、ラップのアルバムとして初めてゴールド認定を受けた歴史的な一枚です。批評家のRobert Christgauは「これまでで最も抜け目がなく、形式として一貫したラップ・アルバム」と評しました。

音は驚くほど簡素です。ドラムマシンの硬い音と、スクラッチと、怒鳴るような声。飾りをすべて削ぎ落とした結果、かえって今聴いても古びない鋭さが残りました。Ice-Tは「大きく当たった最初のラップ・アルバム。これがみんなにアルバムを作る道を開いた」と振り返っています。

『Rock Box』

1984年4月16日リリース。ギタリストのEddie Martinezを迎え、ハードロックのリフとラップを正面からぶつけた一曲で、ラップロックというジャンルの出発点とされています。

ミュージックビデオは1984年の夏、MTVで放送された初めてのラップのビデオになりました。クエストラヴはこの曲について「2つのジャンルを定義し直した」と語っており、Public Enemy、Beastie Boys、Linkin Parkに至るまで、その影響は途切れずに続いています。

『Sucker M.C.’s (Krush-Groove 1)』

デビューシングル『It’s Like That』のB面として1983年に発表された曲。ヒップホップにおけるディス曲の、もっとも初期の例のひとつとされています。

伴奏はドラムマシンとわずかなスクラッチだけ。メロディも和音もありません。この極端な引き算が当時いかに新しかったかは、同時期の他のラップと聴き比べるとよく分かります。ヒップホップの「これでいい」の基準を書き換えてしまった一曲です。

『Hard Times』

1983年12月11日リリース、アルバムの1曲目を飾る曲です。タイトルどおり、生活の厳しさを淡々と並べていく歌詞が続きます。

『It’s Like That』と並んで、社会の現実をラップの主題に据えた初期の代表例。パーティーを盛り上げるための音楽だったヒップホップに、街の景色を持ち込んだ曲のひとつです。硬質なビートと合わせて、彼らの出発点がどこにあったのかがよく分かります。

収録曲

  1. Hard Times
  2. Rock Box
  3. Jam-Master Jay
  4. Hollis Crew (Krush-Groove 2)
  5. Sucker M.C.'s (Krush-Groove 1)
  6. It's Like That
  7. Wake Up
  8. 30 Days
  9. Jay's Game

2nd Album『King of Rock』(1985年)

1985年1月21日リリース。前作と同じくRussell SimmonsとLarry Smithのプロデュース、Greene Street Recordingでの録音です。

ビルボード200で52位、R&Bアルバム・チャートで12位。1985年6月にゴールド、1987年2月にプラチナ認定を受け、ラップのアルバムとして初のプラチナとなりました。

タイトルが示すとおり、ロックとの接近をさらに推し進めた一枚。Yellowmanを迎えたレゲエ曲『Roots, Rap, Reggae』もあり、ジャンルの境界を意識的に踏み越えています。収録曲のうち3曲は1985年の映画『Krush Groove』でも使われました。

『King of Rock』

1985年1月15日リリース。R&B/ヒップホップ・ソングスで14位、全英80位を記録しました。「俺たちがロックの王だ」と言い切ってしまう、当時としては大胆きわまりない宣言です。

ミュージックビデオでは、ロックの殿堂を模した博物館に2人が乗り込み、展示物を蹴散らしていきます。案内役として『レイトナイト・ウィズ・デヴィッド・レターマン』のラリー”バド”メルマンが登場するのもご愛嬌。MTVで広く流れ、ヒップホップの存在をロックの聴き手に突きつけました。同年のライヴエイドでも披露されています。

『You Talk Too Much』

1985年のシングルで、R&B/ヒップホップ・ソングスで19位。「お前はしゃべりすぎだ」と相手をこき下ろし続けるだけの曲です。

とはいえ、2人のかけ合いの妙味はここでも健在。同じ言葉を交互に投げ合い、最後は重ねて叫ぶという構成は、後年まで彼らの定型になりました。ユーモアと威圧感が同居する、Run-D.M.C.らしさの分かりやすい一例です。

収録曲

  1. Rock the House
  2. King of Rock
  3. You Talk Too Much
  4. Jam-Master Jammin'
  5. Roots, Rap, Reggae (feat. Yellowman)
  6. Can You Rock It Like This
  7. You're Blind
  8. It's Not Funny
  9. Darryl and Joe (Krush-Groove 3)

3rd Album『Raising Hell』(1986年)

1986年5月15日リリース。マンハッタンのChung King Studiosで録音され、プロデュースはRussell SimmonsとRick Rubin。彼らの代表作であり、ヒップホップ史の分岐点となった一枚です。

ビルボード200で3位、R&B/ヒップホップ・アルバム・チャートではヒップホップ作品として初の1位。アメリカで3×プラチナ(300万枚)を記録し、1987年にはヒップホップのアクトとして初のグラミー賞ノミネートにもつながりました。

評価も別格です。TIME誌は「ラップ最初の傑作」と呼び、2017年にはアメリカ議会図書館の国立録音資料登録簿に選出。ヒップホップが「シングルの音楽」から「アルバムの音楽」へと移行した瞬間が、ここに記録されています。

『Walk This Way』(feat. Aerosmith)

1986年7月4日リリース。ビルボード・ホット100で4位、全英8位。エアロスミスの1975年のオリジナルを上回るヒットとなり、ヒップホップの楽曲として初めて全米トップ5に入りました。

発案者はRick Rubin。当初RunとD.M.C.は歌詞を「田舎くさいたわごと」と渋りましたが、Jam Master Jayが後押しして実現しました。1986年3月9日のセッションには、Steven TylerとJoe Perry本人が参加しています。ミュージックビデオは、壁1枚を隔てた隣のスタジオで両者が音量を競い合い、ついにTylerが壁を突き破るという内容。ジャンルの壁が物理的に壊される映像は、MTVを通じて世界中に届きました。低迷していたエアロスミスの復活のきっかけにもなった一曲です。

『My Adidas』

1986年5月29日リリース、R&B/ヒップホップ・ソングスで5位。自分たちの履いているスニーカーへの愛を、ひたすら3分間歌い続けるという曲です。

この曲がきっかけとなり、1986年にadidasとの160万ドルの契約が成立します。ライブで観客にスニーカーを掲げさせた逸話とともに、ヒップホップとスポーツブランドの関係の原点として語り継がれてきました。紐を抜いた白のスーパースターという彼らの足元は、そのままストリートの制服になっていきます。

『It’s Tricky』

1987年初頭リリース。ビルボード・ホット100で57位、全英16位を記録しました。ザ・ナックの『My Sharona』のギターと、トニー・バジルの『Mickey』の掛け声の構造を取り込んだトラックです(『My Sharona』の使用をめぐっては、後年に法廷での争いも起きています)。

ミュージックビデオにはマジシャンのペン&テラーが登場し、路上のカードゲームで3人と対決します。映画やテレビでの起用が非常に多い曲で、ゲーム『SSX Tricky』のタイトルの由来にもなりました。Run-D.M.C.の曲でいちばん「どこかで聴いたことがある」のは、たぶんこれです。

『Peter Piper』

アルバムの1曲目。Bob Jamesの『Take Me to the Mardi Gras』の鈴の音をループさせた、ヒップホップのサンプリング史でも屈指の有名なトラックです。

歌詞は英語の早口言葉やマザーグースを次々に引用しながら、Jam Master Jayの腕前を称える内容。DJを主役にしたラップという意味でも重要な曲で、ヒップホップ好きからの人気は『Walk This Way』以上とも言われます。アルバムの入り口として、これ以上ないオープニングです。

収録曲

  1. Peter Piper
  2. It's Tricky
  3. My Adidas
  4. Walk This Way
  5. Is It Live
  6. Perfection
  7. Hit It Run
  8. Raising Hell
  9. You Be Illin'
  10. Dumb Girl
  11. Son of Byford
  12. Proud to Be Black

番外編『Christmas in Hollis』(1987年)

スタジオアルバム未収録ながら、彼らの代表曲として外せないのがこの曲。1987年のチャリティー・コンピレーション『A Very Special Christmas』のために書き下ろされたクリスマスソングです。

『Christmas in Hollis』

舞台は彼らの地元ホリス。公園でサンタの財布を拾い、届けに行くと願いが叶う——という、どこか童話めいた歌詞が微笑ましい一曲です。クレメント・ムーアの詩『クリスマスのまえのばん』の一節も引用されています。

映画『ダイ・ハード』(1988年)で流れたことで知名度は決定的になり、いまや欧米のクリスマス定番曲のひとつ。毎年12月になると必ずどこかで耳にするはずです。硬派なイメージの強い彼らの、いちばん人懐っこい表情がここにあります。

4th Album『Tougher Than Leather』(1988年)

1988年5月17日リリース。プロデュースはRun-D.M.C.自身とDavy D.、そしてRick Rubin。ニューヨークの5つのスタジオを使って録音されました。

ビルボード200で9位、R&Bアルバム・チャートで2位、プラチナ認定。数字の上では成功しましたが、『Raising Hell』の巨大さと、同時期に台頭したPublic Enemyらの存在もあって、当時の評価は割れました。現在では「ヒップホップの古典」として再評価されています。

同名の映画(Rick Rubin監督)も1988年9月に公開されましたが、こちらは酷評されています。作品としてのアルバムは、サンプリングの使い方が一段と巧みになった充実作です。

『Run’s House』

1988年4月15日リリース。The Soul Searchersの『Ashley’s Roachclip』とジェームス・ブラウンの『Funky Drummer』という、ヒップホップ屈指の定番ブレイクを組み合わせたトラックです。

メンバー自身のお気に入りとしても知られる曲で、ライブでは定番のオープニング。のちにRunが出演したMTVのリアリティ番組のタイトルも、この曲から取られました。「ここは俺の家だ」と宣言するだけの単純さが、逆に強いです。

『Mary, Mary』

1988年3月8日リリース。ザ・モンキーズが1966年に発表した曲のカバーで、全英シングルチャートにも入りました。

ロック曲をラップで作り替えるという意味では『Walk This Way』の続編とも言えますが、こちらはゲスト参加なしで完全に自分たちの曲として解体・再構築しています。原曲を知ってから聴くと、その大胆さがよく分かるはずです。

『Beats to the Rhyme』

Bob Jamesの『Nautilus』とジェームス・ブラウンのブレイクを重ねた、アルバムでも指折りの人気曲です。

ラップの技術という点では、このアルバムの2人がキャリアで最も速く、最も細かく刻んでいます。当時新世代に押されていた彼らが、実力で応えようとした気配が濃い一曲。「ラップが上手いRun-D.M.C.」を聴きたいならここです。

収録曲

  1. Run's House
  2. Mary, Mary
  3. They Call Us Run-D.M.C.
  4. Beats to the Rhyme
  5. Radio Station
  6. Papa Crazy
  7. Tougher Than Leather
  8. I'm Not Going Out Like That
  9. How'd Ya Do It Dee
  10. Miss Elaine
  11. Soul to Rock and Roll
  12. Ragtime

5th Album『Back from Hell』(1990年)

1990年10月16日リリース。プロデュースはRun-D.M.C.とJam Master Jayです。

キャリアでもっとも苦しい時期の作品です。西海岸のギャングスタ・ラップに主役の座を明け渡し、ビルボード200では81位と大きく後退。メンバー自身も、Jam Master Jayの税金問題、Runの深刻な鬱、D.M.C.のアルコール依存と、それぞれに厳しい状況に置かれていました。

音は初期のロック路線を捨て、ニュージャックスウィングを取り入れた、より街に近いものへ。評価は割れましたが、Jam Master Jayのトラックメイクを称賛する声は当時から一貫していました。彼がラップを披露した初めてのアルバムでもあります。

『Pause』

1989年7月12日に『Ghostbusters』との両A面としてリリース。R&B/ヒップホップ・ソングスで51位、ラップ・チャートで11位を記録しました。

跳ねるビートに合わせて動きを止める、という単純な仕掛けが楽しい一曲。当時流行していたダンス寄りのラップに彼らなりに応えた曲で、ミュージックビデオの振り付けも含めて、深刻になりすぎない軽さが残っています。

『Faces』

1991年3月11日リリース。R&B/ヒップホップ・ソングスで57位、ラップ・チャートで13位。ニュージャックスウィングの質感がもっとも出た曲のひとつです。

人が見せる「顔」の使い分けを歌った歌詞には、売れなくなった時期ならではの陰りがあります。80年代の陽気な彼らしか知らずに聴くと、その落差に驚くはず。苦境の作品ですが、だからこそ残った生々しさがあります。

収録曲

  1. Sucker D.J.'s
  2. The Ave.
  3. What's It All About
  4. Bob Your Head
  5. Faces
  6. Kick the Frama Lama Lama
  7. Pause
  8. Word Is Born
  9. Back from Hell
  10. Don't Stop
  11. Groove to the Sound
  12. P Upon a Tree
  13. Naughty
  14. Livin' in the City
  15. Not Just Another Groove
  16. Party Time

6th Album『Down with the King』(1993年)

1993年5月4日リリース。Pete Rock、Q-Tip、EPMD、KayGee、The Bomb Squad、Jermaine Dupriら、当時の一線級のプロデューサーを迎えた復活作です。

ビルボード200で7位、R&B/ヒップホップ・アルバム・チャートで1位、ゴールド認定。見た目も一新し、黒のWalker Wearにティンバーランド、スキンヘッドという90年代仕様になりました。D.M.C.が大きな木製の十字架を下げていたのもこの時期です。

OnyxやMad Cobra、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのTom Morelloまで参加しており、90年代前半のシーンの見取り図としても楽しめる一枚です。

『Down with the King』(feat. Pete Rock & C.L. Smooth)

1993年3月2日リリース。ビルボード・ホット100で21位、R&Bで9位、そしてラップ・チャートで1位を獲得しました。全英でも69位に入り、2か月でゴールド認定を受けています。

トラックを手がけたのはPete Rock。当時の東海岸らしい、ホーンの効いた重心の低いビートの上で、2人が貫禄たっぷりにラップします。時代に合わせて自分たちを更新できることを証明した一曲で、80年代の彼らしか知らない人にこそ聴いてほしい曲です。

収録曲

  1. Down with the King (feat. Pete Rock & C.L. Smooth)
  2. Come On Everybody (feat. Q-Tip)
  3. Can I Get It, Yo (feat. EPMD)
  4. Hit 'Em Hard
  5. To the Maker
  6. 3 in the Head
  7. Ooh, Whatcha Gonna Do (feat. The Bomb Squad)
  8. Big Willie (feat. Tom Morello)
  9. Three Little Indians
  10. In the House
  11. Can I Get a Witness
  12. Get Open (feat. Onyx)
  13. What's Next (feat. Mad Cobra)
  14. Wreck Shop
  15. For 10 Years

番外編『It’s Like That(Jason Nevins Remix)』(1997年)

1983年のデビューシングルが、14年後に世界中を席巻する——というのが、このグループの物語のなかでもとりわけ痛快なエピソードです。

『It’s Like That』(Run-D.M.C. vs. Jason Nevins)

アメリカのプロデューサーJason Nevinsが1997年に手がけたハウス仕様のリミックス。全英シングルチャートで6週連続1位を記録し、オーストラリア、ドイツ、オランダ、ニュージーランドなど12か国で1位に。世界で約500万枚を売り上げました。

イギリスではスパイス・ガールズの連続1位記録を止めたことでも話題になりました。ミュージックビデオは男女のクルーによるブレイクダンス・バトル。原曲の硬派なラップが、そのままフロアの音として通用することを証明してしまった一本です。ちなみに『It’s Tricky』も1998年にNevinsのリミックスが出ています。

7th Album『Crown Royal』(2001年)

2001年4月3日、Arista Recordsからリリース。1997年から1999年にかけて録音された、最後のスタジオアルバムです。

タイトル曲を除く全曲にゲストが参加しているのが最大の特徴。Kid Rock、Limp BizkitのFred Durst、Third Eye BlindのStephan Jenkins、Sugar Ray、Everlastといったロック/ミクスチャー勢に加え、Nas、Prodigy、Fat Joe、Method Manらヒップホップ勢も名を連ねます。

ビルボード200で37位。批評は厳しく、統一感のなさを指摘する声が目立ちました。とはいえ、90年代末にラップとロックを混ぜた音が主流になったとき、その源流にいた本人たちが同じ土俵に立った記録として、聴く価値のある一枚です。

『Rock Show』(feat. Stephan Jenkins)

2001年1月リリースのシングル。Third Eye BlindのStephan Jenkinsが参加し、ギターのリフとラップが真正面からぶつかります。

やっていることは1984年の『Rock Box』とほとんど同じ——にもかかわらず、17年の時を経てそれが「流行の音」になっているという構図が面白い曲です。自分たちが蒔いた種を、自分たちで刈り取りに来たような一曲。

『Let’s Stay Together (Together Forever)』(feat. Jagged Edge)

2001年2月リリース。R&BグループのJagged Edgeを迎えた、アルバムでもっとも滑らかな一曲です。

タイトルの「ずっと一緒にいよう」は、結果的にグループへの別れの挨拶のようにも響きます。この翌年にJam Master Jayが世を去り、これが最後のアルバムになりました。歌モノのフックに乗る彼らというのも新鮮で、締めくくりにふさわしい余韻があります。

収録曲

  1. It's Over (feat. Jermaine Dupri)
  2. Queens Day (feat. Nas & Prodigy)
  3. Crown Royal
  4. Them Girls (feat. Fred Durst)
  5. The School of Old (feat. Kid Rock)
  6. Take the Money and Run (feat. Everlast)
  7. Rock Show (feat. Stephan Jenkins)
  8. Here We Go 2001 (feat. Sugar Ray)
  9. Ahhh (feat. Chris Davis)
  10. Let's Stay Together (Together Forever) (feat. Jagged Edge)
  11. Ay Papi (feat. Fat Joe)
  12. Simmons Incorporated (feat. Method Man)

ヒップホップを変えた3人——記録と功績

Run-D.M.C.の功績は、ヒット曲の数よりも「最初にやった」ことの多さで語られます。主なものを並べてみます。

  • ラップのアルバムとして初のゴールド認定(『Run-D.M.C.』/1984年)
  • ラップのアルバムとして初のプラチナ認定(『King of Rock』)
  • ラップのアルバムとして初のマルチプラチナ(『Raising Hell』)
  • MTVで初めて放送されたラップのミュージックビデオ(『Rock Box』/1984年)
  • ローリング・ストーン誌の表紙を飾った初のラップアクト
  • グラミー賞に初めてノミネートされたヒップホップのアーティスト
  • ヒップホップの楽曲として初の全米トップ5(『Walk This Way』/4位)

1985年7月13日、フィラデルフィアのJFKスタジアムで開かれたライヴエイドに出演したのも大きな出来事でした。ブラック・サバスとリック・スプリングフィールドのあいだという時間帯に、10万人の前で『Jam Master Jay』と『King of Rock』を披露。D.M.C.によれば観客の3割はブーイングだったといいますが、ヒップホップがまだプラチナ・アルバムを1枚も持っていなかった時代に、これだけの人数の前で鳴らされた意味は小さくありません。

ファッション面での影響も絶大でした。黒いフェドーラ帽、革ジャン、太いゴールドチェーン、そして紐を抜いたadidasのスーパースター。1986年に結んだ160万ドルのadidas契約は、ミュージシャンとスポーツブランドの提携という商習慣そのものの出発点になりました。いま当たり前に行われているアーティストとブランドのコラボレーションは、ここから始まっています。

2009年4月にはロックの殿堂入り。グランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイヴに次ぐ、ヒップホップとして2組目でした。2016年にはグラミー賞の特別功労賞(生涯業績賞)も受賞しています。

Jam Master Jayの死と、その後

2002年10月30日午後7時30分ごろ、Jam Master Jayはクイーンズ区ジャマイカにある自身のレコーディングスタジオで銃撃され、命を落としました。同席していた1人も負傷しています。事件は長く未解決のままでしたが、2024年2月、2人の被告に有罪の評決が下されました。

音を作っていた中心人物を失ったグループは、そのまま活動を終えます。RunとD.M.C.は、Jayなしで「Run-D.M.C.」を名乗り続けることを選びませんでした。以降の活動は追悼や特別な機会に限られ、2023年8月11日、ヒップホップ生誕50年を記念してヤンキー・スタジアムで行われた公演が最後のステージとして記録されています。

D.M.C.はソロ作品や著書を通じて、依存症や鬱、自身が養子であったと知った経験について語り続けてきました。Runは牧師「Rev Run」として、そして家族を追ったリアリティ番組の顔として、新しい世代にも知られる存在になっています。3人が作った音は、いまもサンプリングされ、映画で流れ、スニーカーの棚の前で思い出され続けています。

まとめ|まずはこの3曲から

Run-D.M.C.は、ヒップホップを「シングルの音楽」から「アルバムの音楽」へ、そしてクラブの音楽から世界の音楽へと押し上げたグループです。ドラムマシンとスクラッチと声だけ、という引き算の美学は、40年前の曲とは思えないほど今も鋭く響きます。

最初に聴くなら、この3曲をおすすめします。

  • 『Walk This Way』(1986年)… ジャンルの壁が壊れる瞬間。MVもあわせてどうぞ。
  • 『Peter Piper』(1986年)… 鈴の音のループ。ヒップホップとしての完成度ならこれです。
  • 『It’s Tricky』(1987年)… どこかで必ず聴いている、いちばん陽気な一曲。

アルバムから入るなら、迷わず『Raising Hell』(1986年)。代表曲がほぼ集まっていて、ヒップホップ史の分岐点をそのまま体験できます。そこから「もっと荒削りな原点を」と思ったら1st『Run-D.M.C.』(1984年)へ、「90年代の彼らも聴きたい」なら『Down with the King』(1993年)へ進むのがおすすめです。

同時代のヒップホップや、ラップとロックの交差点にいたアーティストもあわせてどうぞ。