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90年代の洋楽ロックまとめ|おすすめ人気曲・名曲特集

90年代の洋楽ロックをまとめました。

シアトルの小さなシーンから出てきたグランジが一気に主流を塗り替え、イギリスではブリットポップが盛り返し、メロディックなパンクとヒップホップ寄りのミクスチャーが若い世代をさらっていった10年間。ロックがもっとも多様で、もっとも売れていた時代でした。

この記事では、グランジ、オルタナティヴ、ブリットポップ、パンク・リヴァイヴァル、ミクスチャー/ニューメタル、ハードロックまで、90年代ロックの主要な流れをムーブメントごとに幅広く紹介します。

1曲ずつ動画を載せているので、上から順に流していけばそのまま90年代ロックのプレイリストとして使えます。気になった曲から聴いてみてください。

90年代の洋楽ロックはどんな時代だったのか

80年代のロックは、派手な衣装と華やかなギターソロを備えたハードロックが主役でした。その構図をひっくり返したのが、1991年9月にリリースされたニルヴァーナの『Nevermind』です。このアルバムは1992年1月11日にマイケル・ジャクソンの『Dangerous』を抜いて全米アルバムチャートの1位に立ちました。売れ線とは正反対の、ざらついた音と内向きの歌詞を持ったレコードが頂点に届いたことで、ロックの価値基準そのものが更新されます。

この流れの中心にいたのが、シアトルを拠点にした「グランジ」と呼ばれるバンド群でした。ニルヴァーナ、パール・ジャム、サウンドガーデン、アリス・イン・チェインズ。いずれもハードロックの音量とパンクの姿勢、それに屈折した歌詞を同時に持っていて、MTVを通じて世界中の10代に届きました。それまで「オルタナティヴ(もうひとつの)」と呼ばれ、インディーの領域にいた音楽が、そのまま主流になっていった時期です。

一方のイギリスでは、アメリカ主導のグランジに対する反発として、60年代のブリティッシュ・ポップを下敷きにした明るくキャッチーなロックが台頭します。これがブリットポップです。1995年8月20日にはブラーの『Country House』とオアシスの『Roll with It』が同日にシングル発売され、その週の売上が27万4千枚対21万6千枚で1位と2位を分け合うという、音楽以上に社会現象めいた「対決」まで起きました。

さらに90年代半ばからは、グリーン・デイやオフスプリングが牽引したメロディックなパンクが爆発し、後半にはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンやコーンのように、ロックにヒップホップのリズムや歌唱を持ち込むバンドが台頭します。同じ10年の中で、これだけ性格の違う音楽が次々と主役を交代していったことが、90年代ロックのおもしろさです。

グランジ|シアトルがロックの地図を塗り替えた

90年代前半、アメリカ北西部の港町シアトルから出てきたバンドが一斉に世界の主役になりました。歪んだギター、重いリズム、そして飾らない歌詞。ここから紹介する5曲は、いずれも90年代ロックの入口として外せないものです。

Nirvana – Smells Like Teen Spirit

1991年/アルバム『Nevermind』

90年代ロックの起点になった1曲です。全世界で1300万枚を超えるセールスを記録し、ベルギー、フランス、ニュージーランド、スペインでは1位を獲得。全米シングルチャートでもトップ10に入りました。グランジが主流に出た瞬間として語られる曲です。

カート・コバーンはこの曲を、ピクシーズの静と動の落差に影響を受けた「究極のポップソング」を書く試みだったと語っています。実際、構造そのものは驚くほど素直で、静かなヴァースから一気に歪んだサビへ雪崩れ込む展開が、聴き手を選ばない強さを生みました。荒れた高校のペップラリーを描いたミュージックビデオも含めて、記憶に残る曲です。

Pearl Jam – Alive

1991年/アルバム『Ten』

1991年7月7日に発表されたパール・ジャムのデビューシングルで、デビュー作『Ten』のリリースより51日早く世に出ました。アメリカでは輸入盤しか流通しなかったためシングルチャートには入っていませんが、イギリスで16位、オーストラリアで9位を記録。『Ten』自体は1992年後半に全米アルバムチャートで2位まで上がりました。

もとはギターのストーン・ゴッサードが書いたインストゥルメンタルで、歌手を探すために配られたデモに、エディ・ヴェダーが歌詞を乗せて完成しました。父親だと思っていた人が実の父ではなかったという自身の経験が下敷きになっています。重い題材を、伸びやかなギターソロと開けたメロディで鳴らしてしまうところにこのバンドの体温があります。

Soundgarden – Black Hole Sun

1994年/アルバム『Superunknown』

1994年5月23日リリース。アルバム『Superunknown』は全米アルバムチャートに初登場1位で入り、初週で31万枚を売り上げました。この曲は全米のアルバムロック・チャートで通算7週にわたって1位を獲得し、1994年のモダンロック年間チャートでも1位に。同年のMTVビデオ・ミュージック・アワードでは最優秀メタル/ハードロック・ビデオを受賞しています。

グランジの中でもとりわけ音楽的に凝ったバンドで、この曲もサイケデリックな浮遊感と重いリフが同居しています。クリス・コーネルの伸びのある声が、不穏な歌詞をどこか荘厳なものに変えてしまう。郊外の風景が歪んでいくミュージックビデオも、曲の不気味な明るさをよく捉えています。

Alice In Chains – Man in the Box

1991年/アルバム『Facelift』

デビュー作『Facelift』(1990年)に収録され、1991年1月にシングルとして発表されました。全米メインストリーム・ロック・チャートで18位を記録し、1992年のグラミー賞では最優秀ハードロック・パフォーマンス部門にノミネート。2010年代のアメリカのロックラジオでもっとも多く流れた曲の第2位という記録も残しています。

アリス・イン・チェインズの特徴は、レイン・ステイリーとジェリー・カントレルによる濁った響きのハーモニーです。この曲でもトーキング・モジュレーターを通した不気味なリフの上に、二人の声が絡み合って重なります。グランジの中ではもっともヘヴィメタル寄りで、閉塞感の描き方が徹底しているバンドです。

Stone Temple Pilots – Plush

1993年/アルバム『Core』

デビュー作『Core』(1992年)からの曲で、1993年2月15日にアメリカのラジオへ送られました。オルタナティヴの曲として初めて全米アルバムロック・チャートの1位に立ち、そのまま1993年の年間1位に。1994年のグラミー賞では最優秀ハードロック・パフォーマンス部門を受賞し、MTVビデオ・ミュージック・アワードでも最優秀新人賞を獲得しました。

作曲したロバート・デリオが「これですべてが変わった」と語ったとおり、バンドの代表曲になりました。うねるようなギターリフと、スコット・ウェイランドの低く沈んだ歌い方の組み合わせが独特です。発表当時は「パール・ジャムに似すぎている」という批判も受けましたが、いまでは90年代を代表するロックソングとして評価が定着しています。

オルタナティヴ・ロック|「もうひとつのロック」が主流になった

グランジが開けた扉から、それまでインディーの棚にあった多様なロックが一斉に主流へ流れ込みました。マンドリンを鳴らすバンドも、ファンクを持ち込むバンドも、宅録から出てきた変わり者も、同じチャートに並んだのが90年代です。

R.E.M. – Losing My Religion

1991年/アルバム『Out of Time』

1991年2月19日リリース。全米シングルチャートで4位に達し、R.E.M.にとって自国での最高ヒットとなりました。1992年のグラミー賞では最優秀ショートフォーム・ミュージックビデオと、最優秀ポップ・パフォーマンス(デュオまたはグループ)の2部門を受賞。1991年のMTVビデオ・ミュージック・アワードでは、最優秀ビデオを含む6部門を制しています。

曲の核にあるのは、ギターのピーター・バックが即興で弾いていたマンドリンのリフです。歪んだギターが幅を利かせていた時代に、まったく別の音色で勝負したことが結果的に強い個性になりました。歌詞は幻滅と報われない思いを扱っていて、ターセム・シン監督による宗教画のようなミュージックビデオも当時大きな話題になりました。

Red Hot Chili Peppers – Under The Bridge

1992年/アルバム『Blood Sugar Sex Magik』

『Blood Sugar Sex Magik』(1991年)の収録曲で、シングルとしては1992年2月に発表されました。全米シングルチャートで2位まで上がり、バンドにとって現在まで最高位のヒットとなっています。この曲がきっかけで、ファンク色の強いバンドという枠を超えて主流に届きました。

歌詞はアンソニー・キーディスが薬物を断ったあとの孤独を振り返って書いたもので、本人は当初バンドに見せることさえためらったと言われています。跳ねるようなファンクが持ち味のバンドが、静かなアルペジオと囁くような歌から始める。その落差が、いまも多くの人に刺さり続けている理由です。

The Smashing Pumpkins – Tonight, Tonight

1996年/アルバム『Mellon Collie and the Infinite Sadness』

2枚組の大作『Mellon Collie and the Infinite Sadness』(1995年)からの4枚目のシングルで、1996年5月6日にリリースされました。アイスランドで1位、イギリスでは7位を記録し、イギリスとニュージーランドではバンドの最高位となっています。

ストリングスを大胆に重ねた、シンフォニックな高揚感のある曲です。ミュージックビデオはジョナサン・デイトンとヴァレリー・ファリスが監督し、ジョルジュ・メリエスの無声映画『月世界旅行』(1902年)に着想を得た作りになっています。飛行船で月へ向かうという筋書きを、当時の映画そのままの手描きの背景と素朴な特撮で再現した映像は、いま観ても見応えがあります。

Beck – Loser

1994年/アルバム『Mellow Gold』

もともとは1993年3月8日に、インディーレーベルのボング・ロードから12インチ盤で出た曲でした。モダンロック局でのオンエアから火が付き、メジャー契約を経て再発されると、1994年4月に全米シングルチャートで10位を記録。ノルウェーでは1位を獲得しました。

スライドギター、ヒップホップのビート、意味の取りづらい言葉の羅列。ジャンルの整理を拒むような作りですが、けだるいフックは一度聴けば忘れられません。総額14,300ドルという低予算で撮られたミュージックビデオも含め、90年代の脱力した空気をそのまま封じ込めたような1曲です。

Weezer – Buddy Holly

1994年/アルバム『Weezer(ブルー・アルバム)』

デビュー作『Weezer』からの2枚目のシングルで、リリースは1994年9月7日。バディ・ホリーの生誕から58年目の誕生日にあたる日でした。全米モダンロック・チャートで2位、イギリスでも12位を記録しています。

50年代のロックンロール歌手バディ・ホリーと女優メアリー・タイラー・ムーアの名前が出てくる歌詞を、分厚いギターと甘いコーラスで鳴らすという奇妙な魅力があります。スパイク・ジョーンズ監督のミュージックビデオはドラマ『ハッピーデイズ』の映像にバンドを合成したもので、Windows 95のおまけとして収録されたことでも広く知られました。

Foo Fighters – Everlong

1997年/アルバム『The Colour and the Shape』

ニルヴァーナのドラマーだったデイヴ・グロールが始めたバンドの、2作目からのシングルです。1997年8月にリリースされ、全米オルタナティヴ・チャートで3位を記録。バンドの代表曲として今も演奏され続けています。

抑えたアルペジオから始まり、サビでバンド全体が一気に開ける構成が見事です。2022年3月に亡くなったドラマーのテイラー・ホーキンスが、生前最後にステージで演奏した曲でもあります。前のバンドの影を背負いながら、そこから独立したバンドとして立った瞬間が刻まれた曲だと言えます。

The Cranberries – Zombie

1994年/アルバム『No Need to Argue』

1994年9月19日リリース。オーストラリア、ベルギー、デンマーク、フランス、ドイツ、アイスランドで1位を獲得し、アメリカでもオルタナティヴ・チャートで1位に立ちました。1995年のMTVヨーロッパ・ミュージック・アワードでは最優秀ソング賞を受賞しています。

北アイルランド紛争のさなか、イングランドのウォリントンで起きた爆破事件で犠牲になった子どもたちについて、ドロレス・オリオーダンが書いた抗議の歌です。透明感のある歌声で知られたバンドが、歪んだギターと叫ぶような発声で真正面から怒りを表明しました。バンドの他の曲とは明らかに手触りが違い、その振り幅こそがこの曲を特別なものにしています。

Alanis Morissette – Ironic

1996年/アルバム『Jagged Little Pill』

1995年6月13日リリースの『Jagged Little Pill』からの4枚目のシングルで、発表は1996年2月。全米シングルチャートで4位に達し、現在に至るまで彼女の自国最高位です。カナダのチャートでは6週にわたって1位を守りました。

不運な出来事をいくつも並べて「皮肉なものだ」と歌う内容で、それが本当に皮肉の定義に当てはまるのかという議論を長く呼び続けている曲でもあります。ステファン・セドナウイ監督のミュージックビデオでは、雪道を走る車の中で彼女が1人4役を演じています。ダンスポップ路線から一転して書かれたこのアルバムは、90年代の女性シンガーソングライター像を大きく更新しました。

No Doubt – Don’t Speak

1996年/アルバム『Tragic Kingdom』

1995年10月10日リリースのアルバム『Tragic Kingdom』からの曲で、シングルとしては1996年11月に発表されました。アメリカではフィジカルのシングルが出なかったため当時のシングルチャートの集計対象外でしたが、エアプレイ・チャートでは16週にわたって1位。オーストラリア、カナダ、アイルランド、オランダ、ニュージーランド、イギリスなどでは1位を獲得しました。

もともとはグウェン・ステファニと兄のエリックがラブソングとして書き始めた曲でしたが、書き直しを重ねる中で、バンド仲間のトニー・カナルとの7年におよぶ関係の終わりを歌う別れの曲になりました。スカやパンクを鳴らしてきたバンドが、生々しい感情をそのままバラードにしたことで一気に世界へ届きました。

Garbage – Only Happy When It Rains

1995年/アルバム『Garbage』

デビュー作『Garbage』(1995年)からのシングルで、イギリスでの躍進のきっかけになった曲です。サミュエル・ベイヤー監督のミュージックビデオがMTVの新人枠で大量にオンエアされ、そこからトップ40のラジオにも広がって、アルバムを全米アルバムチャートの上位へ押し上げました。

「雨が降っているときだけ幸せ」という歌詞は、90年代半ばのオルタナティヴにありがちだった苦悩の表明そのものを、皮肉たっぷりにからかったものです。プロデューサー集団が組んだバンドらしく、打ち込みと生のバンドサウンドを混ぜた作り込みも当時としては新鮮でした。シャーリー・マンソンの醒めた歌い口がその皮肉をきれいに成立させています。

ブリットポップ|イギリスが盛り返した90年代

アメリカ主導のグランジに対する反動として、イギリスでは60年代のブリティッシュ・ポップを下敷きにした明るいギターロックが台頭しました。ブリットポップと呼ばれたこの動きは、音楽だけでなく「クール・ブリタニア」と呼ばれる当時の文化的な高揚とも重なっていきます。

Oasis – Wonderwall

1995年/アルバム『(What’s the Story) Morning Glory?』

1995年10月30日リリース。20の国と地域でトップ10に入り、オーストラリアとニュージーランドでは1位、イギリスでは2位を記録しました。全米シングルチャートでも8位に達し、オアシスにとって唯一のトップ40ヒットにしてアメリカでの最大のヒットとなっています。

書いたノエル・ギャラガーは、この曲を「自分自身から救い出しに来てくれる架空の友達」についての歌だと説明しています。タイトルはジョージ・ハリスンのソロ作『Wonderwall Music』から取られたもの。アコースティックギターの単純なコード進行とリアム・ギャラガーの鼻にかかった声だけで、これほど長く歌い継がれる曲になりました。

Blur – Song 2

1997年/アルバム『Blur』

1997年4月7日リリース。イギリスで2位、オーストラリアで4位、アメリカのモダンロック・チャートで6位を記録しました。イギリスでは3倍プラチナに認定されています。1998年のブリット・アワードでは最優秀シングルと最優秀ビデオにノミネートされました。

2分ほどしかなく、歌詞もほとんど意味を成しません。それでも、あの「ウーフー!」の一声とベースの歪みだけでスタジアムを動かしてしまう強さがあります。5作目のアルバムでブリットポップ的な作風から離れ、アメリカのローファイなインディーロックへ寄っていった時期の曲で、皮肉にもそれが彼ら最大の国際的ヒットになりました。

Pulp – Common People

1995年/アルバム『Different Class』

1995年5月にリリースされ、イギリスで2位を記録しました。2014年にBBC 6ミュージックのリスナー投票で「もっとも好きなブリットポップの曲」の1位に、2015年のローリング・ストーン誌の読者投票でも同様に1位に選ばれています。

ジャーヴィス・コッカーが美術学校で出会ったギリシャ人留学生との会話から生まれた曲で、「庶民のように暮らしてみたい」と言う裕福な女性を、貧しさを気取りとして消費する態度として痛烈に描いています。安物のキーボードで作られた単純なフレーズが、曲が進むにつれてどんどん熱を帯びていく構成が見事です。ブリットポップという言葉に階級への視線があったことを、もっともはっきり示した曲でしょう。

The Verve – Bitter Sweet Symphony

1997年/アルバム『Urban Hymns』

1997年6月16日リリース。ローリング・ストーンズの『The Last Time』を1965年にアンドリュー・オールダム・オーケストラが演奏したバージョンからサンプリングしていたことで訴訟となり、バンドは印税をすべて手放し、ミック・ジャガーとキース・リチャーズが作者としてクレジットされることになりました。この権利は2019年になってようやく、作者のリチャード・アシュクロフトへ譲られています。

執拗に繰り返される弦のループの上を、諦めと意地が入り混じった歌が乗っていきます。ロンドンのホクストンの歩道を、通行人にぶつかりながらまっすぐ歩き続けるだけのミュージックビデオも、この曲の頑固さをそのまま映したような映像でした。1998年のMTVビデオ・ミュージック・アワードでは3部門にノミネートされています。

Radiohead – Creep

1992年/アルバム『Pablo Honey』

1992年9月21日に発表されたレディオヘッドのデビューシングルです。当初はまったく売れませんでしたが、イスラエルのラジオでかかったことをきっかけに火が付き、アメリカのオルタナティヴ局へ広がって、1993年の再発で国際的なヒットになりました。アルバート・ハモンドらの『The Air That I Breathe』と要素が重なっていたため、法的な手続きを経て両者が共作者としてクレジットされています。

バンド自身は当初この曲を出すつもりがなく、プロデューサーの勧めで録音したという経緯があります。サビの直前に入る、ジョニー・グリーンウッドによるギターの「ガガッ」というノイズが有名です。自己嫌悪をここまで直截に歌った曲が世界的なヒットになったことは、90年代前半の空気をよく表しています。

パンク・リヴァイヴァル|メロディックなパンクの大流行

グランジの重さが一巡した90年代半ば、カリフォルニアから速くて短くてキャッチーなパンクが飛び出してきます。演奏の難度は高くないのに、誰も真似できないフックがある。ここから10代のバンド人口が一気に増えました。

Green Day – Basket Case

1994年/アルバム『Dookie』

1994年2月1日にリリースされたメジャーデビュー作『Dookie』からの2枚目のシングルで、発表は同年8月1日。全米オルタナティヴ・チャートで5週にわたって1位を守り、グラミー賞では最優秀ロック・ヴォーカル・パフォーマンス(デュオまたはグループ)部門にノミネートされました。2021年版のローリング・ストーン誌「500 Greatest Songs of All Time」では150位に選ばれています。

不安障害に悩まされていたビリー・ジョー・アームストロング自身の経験が下敷きになった歌詞を、これ以上ないほど陽気なテンポで飛ばしていきます。グランジ一色だったチャートに、明るく速いパンクを持ち込んだ功績は大きく、この曲以降のパンクの裾野は一気に広がりました。ミュージックビデオはカリフォルニアの廃精神病院で撮影されています。

The Offspring – Self Esteem

1995年/アルバム『Smash』

アルバム『Smash』(1994年)からの2枚目のシングルで、1995年にインディーレーベルのエピタフから発表されました。アイスランド、ノルウェー、ラトビア、スウェーデンで1位を獲得する世界的なヒットとなり、1995年のMTVヨーロッパ・ミュージック・アワードでは最優秀ソング賞にノミネートされています。

「ラ・ラ・ラ」というコーラスから始まり、ミドルテンポの重いリフへ落ちていく展開が独特です。都合よく扱われていると分かっていながら関係を切れない男の情けなさを、突き放すでも同情するでもなく淡々と歌います。メジャーの資本を通さないインディーのアルバムがここまで売れたこと自体が、当時としては事件でした。

blink-182 – All The Small Things

1999年/アルバム『Enema of the State』

1999年6月1日リリースの『Enema of the State』からの2枚目のシングルで、発表は同年9月。ドラマーにトラヴィス・バーカーを迎え、プロデューサーのジェリー・フィンと組んだこのアルバムから、バンドは一気に主流のポップ・パンクの代表格になりました。

トム・デロングが恋人に向けて書いた曲で、ラモーンズのような直球のメロディを意識したと語っています。マルコス・シエガ監督のミュージックビデオは、バックストリート・ボーイズやNSYNCといった当時のアイドルグループのビデオを露骨にパロディにしたもの。茶化した相手と同じ場所に自分たちが立ってしまったという皮肉ごと、90年代末を象徴する1曲です。

ミクスチャー/ニューメタル|ロックとヒップホップが混ざった

90年代のもうひとつの大きな流れが、ロックのバンド編成にヒップホップのリズムやラップを持ち込む試みでした。日本ではミクスチャー、アメリカではニューメタルと呼ばれたこの動きは、90年代末から2000年代前半にかけて主流を占めることになります。

Rage Against The Machine – Killing In the Name

1992年/アルバム『Rage Against the Machine』

デビュー作からの先行シングルで、1992年10月20日にアメリカのラジオへ送られ、11月にシングルとして発売されました。イギリスで25位を記録。さらに2009年には、オーディション番組『Xファクター』の優勝者がクリスマス1位を独占する状況への抗議キャンペーンによって、17年前の曲でありながらイギリスのクリスマス1位を獲得するという珍しい出来事も起きています。

ドロップDにチューニングされた重いリフと、トム・モレロによる楽器の常識を外れたギタープレイ、そしてザック・デ・ラ・ロッチャの怒りの叫び。人種差別と権力構造を正面から撃つ歌詞を、ラップとメタルの合流点で鳴らしました。終盤の繰り返しは、いまだにロックのライブでもっとも危険な瞬間のひとつです。

Beastie Boys – Sabotage

1994年/アルバム『Ill Communication』

1994年1月に発表された『Ill Communication』からの先行シングルです。1994年のMTVビデオ・ミュージック・アワードで5部門にノミネートされ、ビルボードのビデオ・アワードを受賞。2021年版のローリング・ストーン誌「500 Greatest Songs of All Time」では245位に選ばれています。

ヒップホップのグループでありながら、この曲では3人が実際に楽器を持ち、歪みきったベースとギター、ターンテーブルのスクラッチを組み合わせています。スパイク・ジョーンズ監督のミュージックビデオは70年代の刑事ドラマを模したもので、偽の役名まで用意された作り込みが評判になりました。ジャンルの垣根を軽々と越えてしまう、彼ららしい1曲です。

Marilyn Manson – The Beautiful People

1996年/アルバム『Antichrist Superstar』

1996年9月に、2作目『Antichrist Superstar』からの先行シングルとして発表されました。全米モダンロック・チャートで26位を記録。プロデュースにはナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーらが関わっています。

インダストリアル・メタルに分類される曲で、機械的に刻まれるリズムと歪んだ声が支配的です。タイトルは1967年に出版されたマリリン・ベンダーの同名の書籍から取られ、上流階級の世界と美をめぐる文化を扱っていました。歌詞は「美しさの文化」への批判として書かれています。見た目の過激さで語られがちですが、音そのものの構築は非常に緻密です。

Korn – Freak On A Leash

1999年/アルバム『Follow the Leader』

1998年のアルバム『Follow the Leader』に収録され、1999年2月にシングルとして発表されました。全米オルタナティヴ・チャートで6位、メインストリーム・ロック・チャートで10位、イギリスで24位を記録。ミュージックビデオは同年2月5日に公開され、7つの賞を受けています。

7弦ギターによる低く濁ったリフ、スラップの効いたベース、そしてジョナサン・デイヴィスの歌ともうめきともつかない発声。中盤で言葉が崩れて音の羅列になっていく部分が、この曲最大の聴きどころです。トッド・マクファーレンが監督したビデオはアニメと実写を混ぜたもので、放たれた銃弾を追いかける構成になっています。

Limp Bizkit – Nookie

1999年/アルバム『Significant Other』

1999年6月15日に、2作目『Significant Other』からの先行シングルとして発表されました。アルバムは同月22日にリリースされ全米アルバムチャートで1位を獲得、全世界で1600万枚以上を売り上げています。この曲はグラミー賞の最優秀ハードロック・パフォーマンス部門にノミネートされました。

ウェス・ボーランドのねじれたギターリフに、フレッド・ダーストのラップが乗る典型的なニューメタルの構成です。都合のいい関係に振り回された腹立ちを、そのままの言葉でまくし立てます。良くも悪くも90年代末のアメリカの若者の空気を煮詰めた曲で、この路線が2000年前後のロックの主流を作りました。

ハードロック|スタジアムを鳴らし続けた面々

グランジに主役の座を明け渡したと言われがちな80年代からの大物たちですが、90年代にもキャリア屈指の代表曲を残しています。むしろ時代の変化を受けて、バラードや重厚な作りへ舵を切ったことで新しい名曲が生まれました。

Metallica – Enter Sandman

1991年/アルバム『Metallica』

通称「ブラック・アルバム」と呼ばれる5作目の1曲目にして先行シングルです。全米シングルチャートで16位を記録し、アメリカだけで900万枚以上に相当する9倍プラチナに認定されました。このアルバムは全世界で3000万枚を超える売上を記録し、メタリカを一気に世界的な存在に押し上げています。

カーク・ハメット、ジェイムズ・ヘットフィールド、ラーズ・ウルリッヒの3人が作曲し、歌詞は子どもが見る悪夢を題材にしています。スラッシュメタル特有の速さを捨て、代わりに徹底して重く遅いリフを選んだことで、メタルを聴かない層にまで届きました。以降のライブでは定番中の定番として演奏され続けています。

Guns N’ Roses – November Rain

1992年/アルバム『Use Your Illusion I』

1991年の『Use Your Illusion I』に収録され、1992年2月にシングルとして発表されました。全米シングルチャートで3位、キャッシュボックス誌のチャートでは1位を獲得。9分近い長さがあり、当時としては全米トップ10に入った最長の曲でした。イギリスでも4位を記録しています。

アクセル・ローズが書いたピアノ主体のパワーバラードで、オーケストラを従えて延々と展開していきます。終盤、スラッシュが荒野で弾くギターソロは、ロック史でもっとも有名な場面のひとつでしょう。アンディ・モラハン監督による短編映画のようなミュージックビデオも含め、80年代的な過剰さの最後の輝きと言える曲です。

Aerosmith – Cryin’

1993年/アルバム『Get a Grip』

1993年6月29日リリース。全米シングルチャートで12位、ノルウェーで1位、イギリスで17位を記録し、アメリカでは50万枚を超えるセールスでゴールドに認定されました。スティーヴン・タイラー、ジョー・ペリー、テイラー・ローズによる共作です。

タイラー自身が「もともとカントリーだったものをエアロスミス風に仕上げた」と語っているとおり、土臭いコード進行を分厚いバンドサウンドで鳴らしたパワーバラードです。マーティ・キャルナー監督のミュージックビデオには当時無名だったアリシア・シルヴァーストーンが出演し、MTVで繰り返し流れて彼女のスターへの足がかりになりました。

Bon Jovi – Always

1994年/アルバム『Cross Road』

1994年9月、初のベストアルバム『Cross Road』からのシングルとして発表されました。全米シングルチャートで4位を記録し、これがバンドにとって11作目にして最後のトップ10ヒットとなっています。カナダ、アイルランド、スイスなどで1位を獲得し、アメリカで100万枚、全世界で300万枚以上を売り上げるバンド屈指のヒットになりました。

ジョン・ボン・ジョヴィの声質がもっとも生きるタイプのパワーバラードで、サビでの張り上げ方に無理がありません。ベースのアレック・ジョン・サッチが参加した最後のシングルでもありました。ハードロックが逆風にさらされていた90年代半ばに、真正面からこの曲を出して当てたことがバンドの強さを示しています。

Lenny Kravitz – Are You Gonna Go My Way

1993年/アルバム『Are You Gonna Go My Way』

1993年2月に3作目のアルバムからの先行シングルとして発表されました。オーストラリアで1位、イギリスで4位、アメリカのアルバムロック・チャートで1位、モダンロック・チャートで2位を記録しています。ミュージックビデオはマーク・ロマネクが監督しました。

60年代から70年代のロックの録音をあえて再現したような、生々しく分厚い音づくりが特徴です。冒頭のリフだけで曲が成立してしまうほど強く、後年になっても広告や映画で使われ続けています。デジタルな加工が進んでいた時代に、あえて古い機材と一発録りに近い手法を選んだことが、かえって新鮮に響きました。

90年代後半|メロディの復権とポスト・グランジ

90年代の終わりが近づくと、グランジの重さは薄まり、より開かれたメロディを持つロックがラジオの主役になりました。映画やドラマを通じて広まった曲も多く、いま聴いても当時の空気がそのまま蘇ります。

Goo Goo Dolls – Iris

1998年/アルバム『Dizzy Up the Girl』

1998年の映画『シティ・オブ・エンジェル』のために書かれた曲で、同年4月1日にシングルとして発表され、アルバム『Dizzy Up the Girl』にも収録されました。オーストラリア、カナダ、イタリアで1位、イギリスで3位、全米シングルチャートで9位を記録。アイルランドでは歴代19位のヒットシングルという記録が残っています。

変則チューニングのギターが生む、開放弦の混ざった独特の響きが曲全体を支えています。「ただ君に自分を分かってほしい」という一点だけを歌い続ける構成で、映画を離れても十分に機能する強度がありました。バンドの代表曲であると同時に、90年代末のロックバラードを代表する1曲です。

Third Eye Blind – Semi-Charmed Life

1997年/アルバム『Third Eye Blind』

1997年2月18日にアメリカのモダンロック局へ送られた、デビュー作からの先行シングルです。「ドゥ・ドゥ・ドゥ」という軽快なコーラスとは裏腹に、歌詞は覚醒剤への依存と、そこから抜け出せない生活の断面を描いています。

ステファン・ジェンキンスは、この曲の繰り返しの部分がルー・リードの『Walk on the Wild Side』に着想を得たものだと語っています。早口で言葉を詰め込む歌い方はラップの影響を受けたもので、明るい音と暗い内容の落差がそのまま曲の魅力になりました。90年代末のラジオを象徴する1曲です。

Semisonic – Closing Time

1998年/アルバム『Feeling Strangely Fine』

1998年2月23日リリース。全米モダンロック・チャートで1位を獲得し、1999年の第41回グラミー賞では最優秀ロック・ソング部門にノミネートされました。2011年には映画やドラマで使われたことをきっかけに、再びいくつかの国のチャートに戻ってきています。

バーの閉店時間を歌った曲として親しまれていますが、書いたダン・ウィルソンは父になることを前にしてこの曲を作ったと言われています。「どこかの終わりは、別のどこかの始まりだ」という一節が、酒場の情景と生まれてくる子どもの両方に読めるという二重構造が見事です。卒業や送別の場面で今も使われ続けています。

Sublime – What I Got

1996年/アルバム『Sublime』

1996年7月23日にアメリカのモダンロック局と大学ラジオへ送られました。全米モダンロック・チャートで1位を獲得。コーラス部分はレゲエ歌手ハーフ・パイントの『Loving』から取られており、彼も共作者としてクレジットされています。

レゲエ、パンク、ヒップホップを緩やかに混ぜた、カリフォルニアの海辺の空気そのもののような曲です。ただしこの曲がヒットしたのは、ボーカルのブラッドリー・ノーウェルが1996年に亡くなったあとのことでした。のんきに響く演奏の裏側にある事情を知ってから聴くと、印象がまったく変わります。

まとめ

90年代のロックは、たった10年のあいだにグランジ、オルタナティヴ、ブリットポップ、パンク・リヴァイヴァル、ミクスチャーと、性格のまるで違う音楽が次々に主役を交代した時代でした。共通していたのは、着飾ることよりも本音を鳴らすことが強さになるという価値観です。その感覚は、いまのロックにもはっきり引き継がれています。

どこから聴けばいいか迷ったら、まずはニルヴァーナの『Smells Like Teen Spirit』とオアシスの『Wonderwall』を続けて聴いてみてください。アメリカとイギリスで同時に起きていたことの違いが、この2曲だけでかなりはっきり分かります。そこからグランジの重さが好きならパール・ジャムやサウンドガーデンへ、明るいメロディが好みならグリーン・デイやウィーザーへ広げていくのがおすすめです。

90年代の洋楽はロック以外にも聴きどころが多い時代です。ジャンルを横断したランキングや、同じ時代のヒップホップ、イギリスのロックの流れをまとめた記事もあわせてどうぞ。