2Pac(トゥパック)は、25歳で亡くなるまでのわずか5年間に、ヒップホップの表現の幅を決定的に押し広げたラッパーです。West Coastヒップホップの象徴でありながら、その中身はギャングスタ・ラップという括りにまったく収まりません。
10代の少女の妊娠を描いた曲、薬物依存だった母への感謝を綴った曲、自分の死を予感して書かれた曲。社会の不正や黒人が置かれた状況を真正面から扱う一方で、暴力的な歌詞でも知られ、その両極が同じ1枚のアルバムに同居しています。世界での総売上は7,500万枚を超えます。
この記事では、2Pacがどんなアーティストなのかを整理したうえで、生前に発表した4枚と没後の作品を発表順にたどりながら、代表曲を1曲ずつ紹介していきます。名前は知っているけれど何から聴けばいいか分からない、という方に向けた内容です。
2Pac(トゥパック)とは?
ブラックパンサーの息子から、West Coastの象徴へ
2Pacは1971年6月16日、ニューヨーク・マンハッタンのイースト・ハーレム生まれ。本名はトゥパック・アマル・シャクール。両親のアフェニ・シャクールとビリー・ガーランドは、ともにブラックパンサー党のメンバーでした。パンサーとの関係を隠すため、出生証明書には当初「パリッシュ・レセイン・クルックス」という別の名前が記されていたといいます。
母は仕事を見つけられず、薬物依存にも苦しみました。1984年、13歳のときに家族はニューヨークからメリーランド州ボルチモアへ移ります。ここで通ったボルチモア・スクール・フォー・ジ・アーツで、彼は演劇・詩・ジャズ・バレエを学びました。この経歴が、のちの表現力の土台になっています。ちなみに同級生には、生涯の親友となるジェイダ・ピンケットがいました。
1988年、サンフランシスコ・ベイエリアのマリン・シティへ移住。1990年にはラップグループDigital Undergroundのロードィ兼バックダンサーとして雇われ、ここからキャリアが動き出します。同グループのShock Gは、以降ずっと彼のメンターであり続けました。
1991年にソロデビュー作『2Pacalypse Now』を発表。1992年の映画『ジュース』での主演で俳優としても評価され、1993年の『Strictly 4 My N.I.G.G.A.Z…』でブレイクします。
しかし1994年11月30日、ニューヨークのクアッド・スタジオのロビーで銃撃され、5発を受けて負傷。さらに性的暴行の罪で有罪となり、8か月間服役します。1995年10月、Death Row Recordsのシュグ・ナイトが140万ドルの保証金を用意して出所すると、彼はDeath Rowと契約。ここからEast Coast/West Coastの対立の中心人物になっていきます。
1996年2月に『All Eyez on Me』を発表。しかしその7か月後、1996年9月7日にネヴァダ州パラダイスで車から銃撃され、6日後の9月13日午後4時3分に亡くなりました。25歳でした。
プロフィール
| 本名 | トゥパック・アマル・シャクール |
| 生年月日 | 1971年6月16日(1996年9月13日没) |
| 出身地 | アメリカ・ニューヨーク州マンハッタン(育ちはボルチモア、のちカリフォルニア州マリン・シティ) |
| ジャンル | ヒップホップ(West Coastヒップホップ、ギャングスタ・ラップ) |
| 別名 | 2Pac、Makaveli、MC New York |
| デビュー | 1991年(1st『2Pacalypse Now』) |
| 主なレーベル | Interscope、Death Row、Amaru |
| 関連グループ | Digital Underground、Thug Life、Outlawz |
「Makaveli」は最後のアルバムで使った名義。獄中で読んだマキャヴェッリの思想に由来します。俳優としても『ジュース』(1992年)『ポエティック・ジャスティス』(1993年)『アバーヴ・ザ・リム』(1994年)などに出演し、没後公開の『グリッドロック』『ギャング・レラテッド』(ともに1997年)にも主演しています。
数字で見る2Pac
全世界での総売上は7,500万枚以上。没後に発表されたベスト盤『Greatest Hits』(1998年)はダイヤモンド認定を受けており、これを達成したヒップホップのアルバムは9枚しかありません。
グラミー賞には生前・没後あわせて7度ノミネート。『Me Against the World』と『All Eyez on Me』が最優秀ラップ・アルバム、『Dear Mama』と『Changes』が最優秀ラップ・ソロ・パフォーマンス、『California Love』と『How Do U Want It』が最優秀ラップ・パフォーマンス(デュオ/グループ)の対象になっています。
殿堂入りも果たしており、2002年にヒップホップの殿堂、2017年には資格取得初年でロックの殿堂に迎えられました。2023年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星が贈られています。
作品の評価としては、『Dear Mama』がアメリカ議会図書館の国立録音登録簿に選定。ソロのヒップホップ作品としては初の登録でした。またローリング・ストーン誌の「歴代最高のアーティスト100」にも選ばれています。2009年にはバチカンが『Changes』を公式のオンライン・プレイリストに加えたことも話題になりました。
2Pacのおすすめ曲・アルバム
それでは、デビュー作から順番におすすめの曲を紹介していきます。生前に発表したスタジオアルバムは4枚、没後のものを含めても数は限られているので、順に追いかけやすいアーティストです。
1st Album『2Pacalypse Now』(1991年)
1991年11月12日リリース。タイトルは1979年の戦争映画『地獄の黙示録(Apocalypse Now)』を踏まえたもの。プロデュースはDigital Undergroundの制作チームUnderground Railroad(Shock Gら)が担当し、カリフォルニア州リッチモンドのスタジオで録音されました。
ビルボード200では64位、R&B/ヒップホップ・アルバム・チャートで13位。1995年4月にゴールド認定を受けています。数字は控えめですが、政治的なラップの書き手としての2Pacをはっきり打ち出し、West Coastヒップホップの中心人物という位置づけを決めた1枚です。
デビュー作の時点で、貧困・警察の暴力・十代の妊娠といった主題を正面から扱っているのが特徴。当時のギャングスタ・ラップとは明確に違う立ち位置でした。
『Brenda’s Got a Baby』
アルバム発売の1か月前にプロモ・シングルとして発表され、1992年2月に『If My Homie Calls』との両A面で再リリースされた曲。ホット・ラップ・ソングで3位を記録しました。
ゲトーに暮らす12歳の少女ブレンダが、育てられない子どもを産んでしまう——という物語をそのまま追う曲です。2Pacは映画『ジュース』の撮影中、12歳の少女が従兄弟の子を妊娠し、赤ん坊をゴミ捨て場に捨てたという新聞記事を読んでこの曲を書きました。デビュー作の2曲目のシングルがこれ、という事実そのものが、彼がどんなラッパーだったかを物語っています。
『Trapped』
アルバムからの先行シングル。タイトルどおり「閉じ込められている」感覚を、警察による抑圧と貧困の両面から描いた曲です。
2曲目に置かれたこの曲でアルバムの基調が決まります。怒りをそのまま声に乗せながら、状況の説明は冷静。この温度差が2Pacの語り口の特徴で、以降の作品にも一貫して流れています。
収録曲
- Young Black Male
- Trapped
- Soulja's Story
- I Don't Give a Fuck (featuring Pogo)
- Violent
- Words of Wisdom
- Something Wicked
- Crooked Ass Nigga (featuring Stretch)
- If My Homie Calls
- Brenda's Got a Baby
- Tha' Lunatic (featuring Stretch)
- Rebel of the Underground
- Part Time Mutha (featuring Angelique)
2nd Album『Strictly 4 My N.I.G.G.A.Z…』(1993年)
1993年2月16日リリース。映画『ジュース』の成功を受けて作られた2作目で、ビルボード200で24位。前作より明確に商業的な成功を収め、彼のブレイク作と見なされています。
1作目のアンダーグラウンド寄りの質感から、プロダクションが大きく変わっているのが聴きどころ。内容面では社会問題への言及がさらに強まり、彼の暴力的な歌詞を批判した元副大統領ダン・クエイルへの反論も含まれています。
シングルは4曲。ここには収めきれませんが、シングルカットされた『Keep Ya Head Up』は、女性への敬意を歌った代表曲としてぜひ聴いてほしい1曲です(ビルボードのシングルチャートで12位。ミュージックビデオにはジェイダ・ピンケットが出演しています)。
『Holler If Ya Hear Me』
1993年2月4日リリースの先行シングル。黒人の貧困、警察による不正、そして政治家から自分に向けられた攻撃への苛立ちが曲の大半を占める、抵抗のアンセムです。
内容は自伝的で、彼自身が受けてきた傷が下敷きになっています。当時Vibe誌の編集者はTime誌で、この曲が疎外感を抱える若者層の琴線に触れたと語りました。のちに研究者マイケル・エリック・ダイソンの2Pac評伝のタイトルになり、2014年にはブロードウェイのミュージカルの題名にもなっています。
『I Get Around』
1993年6月10日リリースの2枚目のシングル。ビルボードのシングルチャートで11位まで上がり、このアルバムで最も成功したシングルになりました。
参加しているのは、彼のメンターであるShock Gと、Digital UndergroundのMoney-B。プロデュースもShock Gです。深刻な曲が並ぶ彼の作品群の中では、あっけらかんとしたパーティ・チューン。2Pacにこういう軽やかな面があったことを知るには、これがいちばん分かりやすい曲です。
収録曲
- Holler If Ya Hear Me (with Live Squad)
- Pac's Theme (Interlude)
- Point the Finga
- Something 2 Die 4 (Interlude)
- Last Wordz (with Ice Cube and Ice-T)
- Souljah's Revenge
- Peep Game (with Deadly Threat)
- Strugglin' (with Live Squad)
- Guess Who's Back
- Representin' 93
- Keep Ya Head Up (with Dave Hollister)
- Strictly 4 My N.I.G.G.A.Z…
- The Streetz R Deathrow
- I Get Around (with Digital Underground)
- Papa'z Song (with Wycked of W.A.T.M.)
- 5 Deadly Venomz (with Treach of Naughty by Nature, Apache, and Live Squad)
3rd Album『Me Against the World』(1995年)
1995年3月14日リリース。2Pac本人が「ヒップホップという表現形式への敬意を示すために作った」と語った作品で、多くの批評家がこの時点までの彼の最高傑作と評価しました。
歌詞の題材は、迫っていた服役、警察とのトラブル、そして貧困。意図して、それまでよりも個人的で内省的な内容にしたといいます。プロデュースはメンターのShock G、Easy Mo Bee、Tony Pizarro、Johnny “J”、デンマークのSoulshock & Karlinら。
特筆すべきは、このアルバムが本人が服役中にリリースされたことです。それにもかかわらずビルボード200で初登場1位を獲得し、4週連続で首位を守りました。一時はその年のアメリカで最も売れたアルバムにもなり、最終的に2×プラチナ認定。第38回グラミー賞では最優秀ラップ・アルバムにノミネートされています。
『Dear Mama』
1995年2月9日リリースの先行シングルで、彼のキャリアでも屈指の名曲。ビルボードのシングルチャートで9位を記録し、これが初のトップ10入り。ホット・ラップ・シングルでは1位を獲得し、3×プラチナに認定されています。
母アフェニ・シャクールに捧げられた曲。幼少期の貧困と、母のクラック・コカイン依存を具体的に描きながら、それでも「母への愛と深い敬意はその記憶を上回る」と歌います。アメリカ議会図書館は本作を国立録音登録簿に選定し、「殺害されたラッパー自身の母と、依存・貧困・社会の無関心のなかで家族を守ろうとするすべての母親への、心を打つ気品ある賛辞」と評しました。ソロのヒップホップ作品としては初の登録です。
『So Many Tears』
1995年6月13日リリースの2枚目のシングル。プロデュースはShock Gで、スティーヴィー・ワンダーの『That Girl』をサンプリングしています。
失った友人たちを数え上げ、自分の死についても語る曲。アルバムのなかでも最良の1曲としてしばしば挙げられます。彼が最後に記録として残したライブ、ハウス・オブ・ブルース公演でも披露されました。
収録曲
- Intro
- If I Die 2Nite
- Me Against the World (featuring Dramacydal)
- So Many Tears
- Temptations
- Young Niggaz
- Heavy in the Game (featuring Richie Rich)
- Lord Knows
- Dear Mama
- It Ain't Easy
- Can U Get Away
- Old School
- Fuck the World
- Death Around the Corner
- Outlaw (featuring Dramacydal)
4th Album『All Eyez on Me』(1996年)
1996年2月13日リリース。生前に発表された最後のアルバムで、Death Row Recordsからの第1作です。そしてヒップホップ史上初の2枚組ソロアルバムとして世界規模で流通した作品でもあります。
客演はDr. Dre、Snoop Doggy Dogg、Method Man、Redman、Nate Dogg、Kurupt、E-40、K-Ci & JoJo、Outlawzなど。プロデュースにはDJ Quik、Johnny “J”、Dr. Dre、DJ Poohらが名を連ね、ミックスはDJ Quikが手がけました。
内容は前3作の社会的・政治的な意識から大きく離れ、貧困と豪奢の両方を味わった経験を語るギャングスタ・ラップへ。初週56万6,000枚でビルボード200とR&B/ヒップホップ・アルバム・チャートの両方で1位、のちにダイヤモンド認定を受けました。シングル4曲は彼のアルバムで最多。1997年のソウル・トレイン・ミュージック・アワードでは、没後に最優秀ラップ・アルバムを受賞しています。
『California Love』
1995年12月3日リリース。出所直後の復帰シングルであり、Death Row移籍第1弾でもありました。『How Do U Want It』との両A面としてビルボードのシングルチャートで2週にわたって1位を獲得し、イタリア・ニュージーランド・スウェーデンでも首位に。1997年のグラミー賞では最優秀ラップ・パフォーマンス(デュオ/グループ)にノミネートされました。
Dr. DreとRoger Troutmanを迎えた、West Coastのアンセム。トークボックスのフックを一度聴けば忘れられません。ミュージックビデオはジェイダ・ピンケット・スミスの発案によるもので、映画『マッドマックス/サンダードーム』を下敷きにHype Williamsが監督しました。2Pacを1曲だけ聴くならこれ、という定番です。
『How Do U Want It』
1996年5月28日リリース。生前に発表された最後のシングルです。プロデュースはJohnny “J”で、クインシー・ジョーンズの1974年の曲『Body Heat』をサンプリングしています。
参加しているK-Ci & JoJoは、当時JodeciのリードシンガーとしてR&Bシーンの中心にいた2人。1996年のビルボード年間ホット・ラップ・シングルで1位を獲得し、これは彼の曲で唯一の達成です。1997年のグラミー賞では最優秀ラップ・パフォーマンス(デュオ/グループ)にノミネートされました。
『2 of Amerikaz Most Wanted』
Snoop Doggy Doggとの共演曲で、プロモーション・シングルとして発表されました。
当時のDeath Rowの2枚看板が並んだ、West Coastヒップホップの黄金期をそのまま封じ込めたような曲。ゆったり跳ねるビートの上で、2人の声質と間の取り方の違いがきれいに際立ちます。
収録曲(Disc 1)
- Ambitionz az a Ridah
- All About U (featuring Snoop Doggy Dogg, Nate Dogg, Yaki Kadafi, Hussein Fatal and Dru Down)
- Skandalouz (featuring Nate Dogg)
- Got My Mind Made Up (featuring Tha Dogg Pound and Method Man & Redman)
- How Do U Want It (featuring K-Ci & JoJo)
- 2 of Amerikaz Most Wanted (featuring Snoop Doggy Dogg)
- No More Pain
- Heartz of Men
- Life Goes On
- Only God Can Judge Me (featuring Rappin' 4-Tay)
- Tradin' War Stories (featuring Dramacydal, C-Bo, and Storm)
- California Love (Remix) (featuring Dr. Dre and Roger Troutman)
- I Ain't Mad at Cha (featuring Danny Boy)
- What'z Ya Phone # (featuring Danny Boy)
収録曲(Disc 2)
- Can't C Me (featuring George Clinton)
- Shorty Wanna Be a Thug
- Holla at Me
- Wonda Why They Call U Bytch
- When We Ride (featuring Outlaw Immortalz)
- Thug Passion (featuring Dramacydal, Jewell, and Storm)
- Picture Me Rollin' (featuring Danny Boy, Syke, and CPO)
- Check Out Time (featuring Kurupt and Syke)
- Ratha Be Ya Nigga (featuring Richie Rich)
- All Eyez on Me (featuring Syke)
- Run tha Streetz (featuring Michel'le, Mutah, and Storm)
- Ain't Hard 2 Find (featuring E-40, B-Legit, C-Bo, and Richie Rich)
- Heaven Ain't Hard 2 Find
5th Album『The Don Killuminati: The 7 Day Theory』(1996年)
1996年11月5日リリース。1996年7月から8月に録音され、死の約2か月後に「Makaveli」名義で発表された、初の没後アルバムです。本人の意図が反映された最後の作品でもあります。
もともとはミックステープとして構想されたもので、リリースも1997年3月の予定でした。しかし彼の死により4か月前倒しで発売されます。参加しているのは自身のグループOutlawzとBad Azz、そしてAaron Hall、Danny Boy、K-Ci & JoJoらR&Bシンガー陣。
初週66万4,000枚でビルボード200の1位、1999年までに4×プラチナ認定。シングルはいずれもビルボードのシングルチャートに入りませんでしたが、全英シングルチャートでは全曲がトップ20入りしました。批評家からは、感情の生々しさ、プロダクション、そしてジャケットまで含めて絶賛され、歴代最高のヒップホップ・アルバムの1枚に挙げられています。
『Hail Mary』
没後にシングルカットされた曲。OutlawzのKastro、Young Noble、Yaki Kadafiがヴァースで参加し、レゲエのPrince Ital Joeがボーカルで加わっています。1997年3月にR&B/ヒップホップ・エアプレイ・チャートで12位を記録しました。
周囲の暴力と負の感情を遮断し、神に祈る——聖書への言及を織り込んだ、異様な緊張感を持つ曲です。アルバムの中でも最も評価が高く、2Pacの代表曲のひとつ。ジョン・シングルトン監督の映画『ベイビー・ボーイ』(2001年)でも使われています。
『To Live & Die in L.A.』
こちらも没後のシングル。Val Youngがボーカルで参加しています。
ロサンゼルスへの讃歌であり、同時に「この街で生き、この街で死ぬ」という覚悟の表明。攻撃的な曲が並ぶアルバムの中では開けた質感で、『Hail Mary』と並んで際立った出来と評されました。彼がこの街をどう見ていたかが、いちばん素直に出ている曲だと思います。
収録曲
- Bomb First (My Second Reply) (featuring E.D.I. and Young Noble)
- Hail Mary (featuring Outlawz)
- Toss It Up (featuring Aaron Hall, Danny Boy, K-Ci & JoJo)
- To Live & Die in L.A. (featuring Val Young)
- Blasphemy
- Life of an Outlaw (featuring Outlawz)
- Just Like Daddy (featuring Outlawz)
- Krazy (featuring Bad Azz)
- White Man'z World
- Me and My Girlfriend
- Hold Ya Head (featuring Hurt-M-Badd)
- Against All Odds
ベスト盤『Greatest Hits』(1998年)
1998年11月24日リリースの2枚組ベスト盤。既発の21曲に、未発表だった4曲(『God Bless the Dead』『Unconditional Love』『Troublesome ’96』『Changes』)を加えた構成です。
この盤はダイヤモンド認定を受けており、それを達成したヒップホップのアルバムは9枚しかありません。入門用としてはこれが最も手軽ですが、収録は時系列ではなくハイライト重視の並びなので、キャリアの流れを追いたい場合はアルバム単位で聴くのがおすすめです。
『Changes』
1992年に録音され、リミックスを経て1998年10月13日にシングルとして発表された曲。ブルース・ホーンズビー&ザ・レンジの1986年の曲『The Way It Is』をサンプリングし、フックはR&Bトリオのタレントが歌っています。
人種問題と階級格差を軸に、社会の分断を語る曲。2000年のグラミー賞で最優秀ラップ・ソロ・パフォーマンスにノミネートされ、この部門で没後にノミネートされた唯一の曲になりました。2009年にはバチカンが公式のオンライン・プレイリストに加えたことでも話題になりました。彼の曲としてはいちばん広く知られている1曲でしょう。
収録曲(Disc 1)
- Keep Ya Head Up
- 2 of Amerikaz Most Wanted (featuring Snoop Doggy Dogg)
- Temptations
- God Bless the Dead
- Hail Mary
- Me Against the World (featuring Dramacydal)
- How Do U Want It (featuring K-Ci & JoJo)
- So Many Tears
- Unconditional Love
- Trapped
- Life Goes On
- Hit 'Em Up (featuring Outlawz)
収録曲(Disc 2)
- Troublesome '96
- Brenda's Got a Baby
- I Ain't Mad at Cha (featuring Danny Boy)
- I Get Around (with Digital Underground)
- Changes
- California Love (featuring Dr. Dre and Roger Troutman)
- Picture Me Rollin' (featuring Danny Boy, CPO, Syke)
- How Long Will They Mourn Me? (featuring Nate Dogg)
- Toss It Up
- Dear Mama
- All About U (featuring Nate Dogg, Top Dogg, Dru Down)
- To Live & Die in L.A. (featuring Val Young)
- Heartz of Men
The Notorious B.I.G.との抗争と、2つの銃撃
2Pacを語るうえで避けられないのが、East Coast/West Coastの対立です。中心にあったのは、The Notorious B.I.G.(本名クリストファー・ウォレス)との抗争でした。
もともと2人は友人でした。1993年、ロサンゼルスを訪れていたB.I.G.が地元の知人を通じて2Pacに紹介され、すぐに親しくなります。2Pacがニューヨークへ行くとき、B.I.G.がロサンゼルスへ来るとき、互いに会う関係で、2Pacは自分のライブでB.I.G.をステージに呼んでラップさせることもありました。
転機は1994年11月30日です。ニューヨークのタイムズスクエアにあるクアッド・スタジオに立ち寄った2Pacは、ロビーで5発撃たれ、金品を奪われました。1995年のVibe誌のインタビューで、彼は当時スタジオにいたショーン・コムズ(パフ・ダディ)、音楽マネージャーのジミー・ヘンチマン、そしてB.I.G.らが、この襲撃を仕組んだか、あるいは知っていたのではないかと語ります。
その数か月後、コムズとB.I.G.は『Who Shot Ya?』を発表。2Pacはこれを自分の銃撃を嘲笑うものと受け取り、彼らの関与を疑いました。そして生まれたのが『Hit ‘Em Up』です。
『Hit ‘Em Up』
1996年6月4日、『How Do U Want It』のB面としてリリースされたディス曲。1996年4月19日にCan Amスタジオで録音され、プロデュースはJohnny “J”。Outlawzが参加しています。
攻撃対象はB.I.G.、ショーン・コムズ、彼らのレーベルBad Boy、Junior M.A.F.I.A.、さらに曲の最後ではMobb DeepやChino XLにまで及びます。当時の記者はこの曲を「East Coastに対する痛烈な聖戦」と表現しました。ミュージックビデオではB.I.G.やコムズ、Lil’ Kimの物真似まで演じています。歴代最高のディス曲のひとつとされる一方で、対立を決定的に悪化させた曲でもありました。
この曲の発表からわずか3か月後、1996年9月7日、2Pacはネヴァダ州パラダイスで走行中の車から銃撃されます。6日後の9月13日、搬送先の病院で亡くなりました。25歳でした。翌1997年3月9日には、B.I.G.もロサンゼルスで銃撃され亡くなっています。24歳でした。
事件は長く未解決のままでした。2023年9月、ラスヴェガス警察が容疑者としてサウス・サイド・コンプトン・クリップスのメンバー、デュエイン「キーフィー・D」デイヴィスを逮捕。そして2026年8月31日、デイヴィスは殺害を主導したとして有罪の判決を受けました。ただし実際に発砲した人物は、いまも確定していません。
2人の死は、ヒップホップにとって取り返しのつかない損失でした。同時に、抗争の記録として残った曲そのものは、いまも異様な熱量を保ったまま聴かれ続けています。
まとめ|まずはこの3曲から
2Pacは、ヒップホップが「誰かの人生をそのまま語る音楽」になり得ることを証明した人です。活動期間は5年ほどしかありませんが、そのあいだに残した曲の振れ幅は、いまも他の誰とも比べられません。
最初に聴くなら、この3曲をおすすめします。
- 『California Love』(1995年)… West Coastのアンセム。まずはここから入るのがいちばん分かりやすいです。
- 『Dear Mama』(1995年)… 母への手紙。ギャングスタ・ラップという枠がいかに彼に合っていないかが分かる曲。
- 『Changes』(1998年)… 社会の分断を語る、彼の代表曲。没後に最も広く聴かれた1曲です。
アルバムから入るなら『Me Against the World』(1995年)が最良の入口です。服役中にリリースされ、全米1位を4週続けたこの作品には、彼の内省がいちばん濃く出ています。West Coastらしい豪奢な音を浴びたいなら『All Eyez on Me』(1996年)、緊張感の極まった最後の姿を聴きたいなら『The Don Killuminati: The 7 Day Theory』(1996年)へ。とりあえず有名曲をまとめて押さえたい場合は、ベスト盤『Greatest Hits』(1998年)が手軽です。
同時代のヒップホップや、2Pac以降のラッパーもあわせてどうぞ。


